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鬱病と語学

語学
語学をやって鬱病を克服した坂口安吾にならって、メンヘラは語学をやれ、というツイートを前にした。そのとき柄谷行人木田元坂口安吾を引き合いに出して同じようなことを言っている、ということを知ったので、該当箇所を調べて読んだ。ちなみに僕が坂口安吾を引き合いに出したのは、「我が精神の周囲」を読んだからです。僕にとって坂口安吾はその著作に登場する人物や、坂口安吾自身がヒロポンを愛用していたこと、高校の頃、暖房のない図書館の書庫で寒さをこらえてちくまの全集を読んでいた記憶などがあいまって、健康という語のイメージから非常に遠い作家なのだけど。
 神経衰弱になってからは、むやみに妄想が起って、どうすることも出来ない。妄想さえ起らなければよいのであるから、なんでもよいから、解決のできる課題に没入すれば良いと思った。私は第一に数学を選んでやってみたが、師匠がなくては、本だけ読んでも、手の施しようがない。簡単に師匠について出来るのは語学であるから、フランス語、ラテン語サンスクリット等々、大いに手広くやりだした。要は興味の問題であり、興味の持続が病的に衰えているから、一つの対象のみに没入するということがムリである。飽いたら、別の語学をやる、というように、一日中、あれをやり、この辞書をひき、こっちの文法に没頭し、眠くなるまで、この戦争を持続する方法を用いるのである。この方法を用いて、私はついに病気を征服することに成功した。*1
多分柄谷行人のことだから全集全部読んでるとは思うけど、どの作品でのことかは明言してない。ちなみにこの対談が収録されてる『柄谷行人 インタヴューズ』には英語学習についての対談も一つ載っているので、興味のある人は読んでください。
柄谷 英語の勉強はしましたね。半年ぐらい、書くのも聞くのも全部英語で、猛烈にやりましたね。しかし、実は、特に英文学をやる気はなかったんです。一石二鳥というか、試験に落ちたって、英語が身につけばいいだろう、損はしないと思ってやったんです。ただ、それは僕にとって心理的に、すごくよかった。坂口安吾が病気を治すために猛烈に語学をやったということを書いていますが、なにしろ進歩しますからね、毎日。
高澤 成果が現れる。
柄谷 見る見る現れる(笑)。文学なんかやっていると、そういうことはないですからね。何も考えないし、それから、生活が規則正しいでしょう。いろんな意味で精神的に、肉体的に回復してきたんですね。その前の状態が『抗夫』みたいなものでしたから、いわば受験勉強で治ったんです。*2
木田元は翻訳者として非常に優秀な方なので、どのように語学を勉強されたか興味がある人は多いと思う。それも詳しく書いてあったけど、多くの人が真似できるやり方ではないと思うし長いので、鬱病の話だけ抜き出します。
一年目はドイツ語、二年目はギリシア語、三年目はラテン語、大学院に入って一年目にフランス語をやりました。みんな独学です。毎年四月一日から六月三十日までは、語学月間にしてました。一日八時間くらい、その語学の勉強に当てます。休むと続かなくなるので、そのあいだは酒も呑まない。そのころは金もなくてのメモしませんでしたが。春先は精神的に不安定になりやすいときでもありますが、こうやって語学の勉強をしていると、精神も安定してくるものでした。*3
存在と時間』から、この先どう生きていけばよいのか、その指針が得られるとおもっていたのですが、どうやら、そんなことが書かれているわけではないらしいということも分かってきました。[……]語学は、一日七、八時間規則正しく勉強していると、着々と力がついていく実感があります。そういう意味では、語学の勉強には精神を安定させるところがあります。坂口安吾が「勉強記」という初期の短篇で、神経衰弱をなおすためにバーリー語だのチベット語だのを勉強した話を書いていましたが、あれはあたっていて、語学の勉強は精神の衛生にとてもいいのです。それと、哲学の本を読んでおもしろいと思い、自分のやりたいことがわかったという気がしたせいもあるかもしれません。*4
存在と時間』を読んで、そこからなにごとかを学びとり、絶望を克服できたのかと訊かれると、ちょっと困ります。[……]ドイツ語やギリシア語やラテン語と、語学を一つひとつこなしていったのが効果がありました。語学は、毎日根気よく持続的にやらなければなりません。坂口安吾が初期の「勉強記」という短編で、神経衰弱を治すためには、サンスクリットやパーリー語やチベット語を勉強するのがいいと、自分の語学習得の話をおもしろく書いていますが、私のばあいも、語学の勉強が絶望の克服に役だったようです。克服というより誤魔化しでしょうね。その証拠に、哲学をはじめてからも幾度と絶望を味わうことになりましたから。*5
坂口安吾が〜からの一節がほとんど同じ文章で、コピペかと思った。多分大学の授業で同じことを何度も喋ったのだと思う。坂口安吾「勉強記」にそんな記述あったっけ、とおもって読んでみたけどないですね。梵語と巴里語を勉強したという話はあるけど、それによって神経衰弱を克服したという話はないです。ここでことさら強調されているのは、辞書の効用でしょう。
なるほど辞書はひくために存在するのであるけれども、言葉は辞書をひくために存在するのではないようである。梵語チベット語の辞書をひくのは健康に宜しく食慾を増進させ概してラジオ体操ほどの効果があるとはいうものの、辞書は体育器具として発売されたものではない。そこで栗栖按吉は大汗かいてチベット語の伝授を辞退することに努めたが、鞍馬先生という方は他人にも意志だの好き嫌いだのというものがあることなど、とんと御存じないのである。*6
ひたすら辞書を引き、翻訳する機械になる描写は他の作品にもある。
私は二十一の年にひどい神経衰弱になり、歩行もサンマンとし、耳がきこえなくなった。それは、私に常に妄想が起るために、耳がきこえなくなるのであったが、要するに妄想を抑えることに成功すれば、必ず病気を治すことができるという見込みによって、目覚めているあらゆる時間、語学に没頭することにした。つまり、辞書をひきつゞけるのだ。私は、フランス語、サンスクリットパーリ語、ドイツ語を一時に習い、たゞ、むやみに、辞書をひく機械のように、根かぎり、休むことなく、辞書をひくことに没頭した。そのほかに、何を考えてもいけないのだ。考えてはならぬ。考えてはならぬ。然し、こうして明滅する妄想と闘いつゝ辞書をひいても、凡そ平時の十分の一と能率はあがらぬものだが、ともかく、この方法によって、妄想をくいとめ、一年半ほどの後には、以前の自分に戻ることができた。*7
高名な哲学の先生が大学の新入生に向けて哲学とはどういうものでどういう心構えを持つべきか、という内容の文章を書かれるのはよく見るけど、より手前の段階だけど重要な語学の勉強法について語ってる先生ってあんまり見かけませんね(知ってるという人がいたら教えてください)。
語学が鬱病に効く、というよりも、なんらかの目的を持って語学を身につけようとすると、生活が規則正しくなり、考え事をする暇がなくなるので、当面の気分をごまかせる、というようなところが三人の体験に共通するところではないでしょうか。そうすると、冒頭での僕の発言は「メンヘラは語学を手段とするような目的を持て」というように書き換えられそう。でも、夏目漱石とか留学して鬱病になったよく知られた例だし、知人やフォロワーを見ている限り鬱病の人に「語学の上達と鬱病の克服の最短距離だ!」と言って留学を勧めるのはあまりよろしくないと思う。
個人的には第二次世界大戦の際にアメリカに亡命した知識人がどうやって英語を勉強したかとか知りたいですね。特に英語で著作を書いたアーレントとか。英語の勉強のためにわざわざプラトンを英訳で読んだ、みたいな話は聞いたことがあるけど。

*1:坂口安吾「我が精神の周囲」

*2:柄谷行人柄谷行人 インタヴューズ1977-2001』p.238

*3:木田元『闇屋になりそこねた哲学者』p.83

*4:木田元『闇屋になりそこねた哲学者』p.91

*5:木田元木田元の最終講義 反哲学としての哲学』p.27

*6:坂口安吾「勉強記

*7:坂口安吾「小さな山羊の記録