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円城塔「つぎの著者へつづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)

前回の記事で、ウィトゲンシュタインの『黄色本』が円城塔の「つぎの著者へつづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)に出てくると書いた。

その挿話を見かけたのは何処の本でのことだったのかを問いかけられて、私は即座に黄色本と答えるのだが、ウィトゲンシュタイン講義ノートに黄色本などという代物が存在しないことはすぐさま思い出されてしまう。(p.157)
この箇所についた注にはこうある
※32 ウィトゲンシュタインの著作は「茶色本」と「青色本」である(ウィトゲンシュタイン全集六「青色本・茶色本」大森荘蔵訳、大修館書店) (p185)
しかし、一連の文章はなにを言いたいのかよくわからない。『黄色本』の抜粋は野矢茂樹訳『ウィトゲンシュタインの講義 1932-1935年』に収録されているので、『黄色本』などという代物はちゃんと存在する。ちなみにおそらくアンブローズによる副題は「『青色本』に先立つ講義」とあり、1933-1934年のものであることもわかっている。『青色本』や『茶色本』は、彼自身がミスプリントや誤字を修正しており、『茶色本』に関してはドイツ語での改訂を行い、出版する計画まで立てていた。学生の講義ノートから編集した『黄色本』は信頼度が低く、ウィトゲンシュタインの著作として認められるのは、『青色本』と『茶色本』である、という意味で読めば、この注の意味は通る。
しかし、そうすると本文の意味が通らない。「ウィトゲンシュタイン講義ノートに黄色本などという代物が存在しない」とあるが、そもそもウィトゲンシュタイン講義ノートというものは存在しない。だから、「もちろん、茶色本や青色本も存在しない」という奇妙な付け足しをしないとこの文章は意味が通らなくなる。ウィトゲンシュタインの講義に出席していた学生がとったノート、という意味であれば黄色本という代物は存在するし、あるかはわからないウィトゲンシュタイン自身のノートという意味であれば、強く「黄色本などという代物は存在しない」とワザワザいう理由がいまいちわからない。奇妙に思ったのでここに書き残しておきます。

ウィトゲンシュタインの恋人

少し前,ウィトゲンシュタインとスキナーの関係について伝記本などから記述を集めた。人に見せるためにまとめたわけではないけど,読み返したら意外と面白かったので公開します。基本的にはモンクの伝記からの引用です。バートリーの本は読んでません(特にこのトピックに興味が有るわけではないので)。

追記:大幅に加筆した(2015.11.23)https://41.media.tumblr.com/8890375ec2ec53d80382aa686370e6f8/tumblr_nqp0wbYdJn1uy7ftao1_1280.jpg

https://40.media.tumblr.com/7448953f711a7b7377a23e5718c4695a/tumblr_nqp0wbYdJn1uy7ftao3_r1_400.jpg

  1. 1933年、ケンブリッジにてウィトゲンシュタインとフランシス・スキナー(スキナーに比べて背が低く見えるがウィトゲンシュタインの身長は175cm程度である)
  2. ウィトゲンシュタインによってケンブリッジで撮影されたフォニア・パスカル

スキナーに贈った『論理哲学論考』の写真が以下のサイトで見れる

http://www.editor.net/BWS/newsletter/newsletter18.htm

シドニー・フランシス・スキナーは1930年にケンブリッジにやってきた若い数学者だった。1912年6月9日、サウスケンシントン生まれ。性格は内気で、控え目で、身なりがよく、驚くほど穏やかな彼と一緒にいると「むらむらとし、感じやすくなり、不作法になった」とウィトゲンシュタインは書いている。また、「二回か三回、フランシスと寝た。いつも最初は、何も間違ったことはしていないと感じるのだが、あとになって恥ずかしさが襲ってくる*1」とも。 

ロシア語の家庭教師であり哲学者のフォニア・パスカル(Fanja Pascal)*2によると、二人は一緒にロシア語のレッスンを受けに来ていたそうだ。イーストロードにある小さな食料雑貨店の上のアパートを借りて一緒に暮らしていたこともあった。この同居を開始したのは1934年頃からである。

パスカル夫人はスキナーについて「彼は陽気で他の仲間たちに好かれました。どんなことであれ、ずるさがなく、どんな人間も悪く考えることができませんでした。彼はもっと現実的でありえたし、そうしようとしたのですが、悲しいかな、彼はいつもあまりにも利他的で、あまりにも控え目でありすぎたのでした」と語っている。

1933年11月8日から1934年6月の第1週にかけて、ウィトゲンシュタインは学生たち(アリス・アンブローズ、H.M.S.コクスター、R.グッドシュタイン、ヘレン・ナイト、マーガレット・マスターマン、フランシス・スキナー)に口述をし、筆記させた。ウィトゲンシュタインはこの謄写版によるコピーを作らせたが、表題がついていなかったので、表紙の色にちなんで『青色本(Blue Book)』と呼ばれるようになった。ウィトゲンシュタインはその二年後にミスプリントや誤りを直す作業をしており、一部をラッセルに送っている。また時期は不明だが、シュリックにも一部与えたようである。ウィトゲンシュタインは『青色本』を口述筆記させている期間、マスターマン、アンブローズ、スキナーを相手に、講義をし、それ以外の場でも議論をした。この記録はアンブローズにより『黄色本(Yellow Book)』*3として公表されている。1934年から1935年の講義でウィトゲンシュタインはフランシス・スキナーとアリス・アンブローズの二人だけに向かって英語で口述を行い、このタイプされたコピーをたった3部だけ作らせ、非常に親しい友人や学生だけに読ませた。しかし、このコピーを読んだ学生がコピーを作ったため、コピーの取引が行われるようになった。これは表紙の色にちなみ『茶色本(Brown Book)』と呼ばれるようになる。『青色本』『茶色本』の二冊について、ウィトゲンシュタイン自身は「これを理解するのは非常に難しいと思う」と話している。

教職に就き講義を始めた直後の1934年から、ウィトゲンシュタインは教職を辞し、ソビエトに移住し、農業労働者として生活することを計画している。そのロシア移住の実現に備えて1934年にはロシア語を家庭教師(パスカル夫人)について学んだりニコラス・バフチン*4のようなロシア人の友人と交遊したりしている。その秋にはスキナーとともにアイルランドにかつての教え子ドゥールリーを訪ねている。これはダブリンで精神科医の仕事を始めていたドゥールリーに自分が医師となってロシアに移住する可能性を打診するためであった。そして翌1935年には実際にロシア(当時のレニングラードとモスクワ)へ視察的旅行も行っている。この旅行にはスキナーも同行する予定であったが、病気のため断念している。スキナーの健康状態はいつも不安定であった。彼は子供の時に骨髄炎にかかり、それを繰り返し患ったため、片足が不自由な身であった。ウィトゲンシュタインは論理学者ソフィア・ヤノフスカヤと会い、哲学教授のポストを約束されるが、決心のつかないままイギリスに帰国した。結局ウィトゲンシュタインはこの移住計画を断念してしまう。何故ならウィトゲンシュタインは農業労働者として働きたかったのだが、ソ連が彼に哲学者以外の職を与えることはないとわかったからだ。こうした彼の行動や友好関係は、ケンブリッジソ連のスパイの勧誘活動をしているのではないかとの噂をよぶことになった。

ある理由から*5『茶色本』の出版を検討していたウィトゲンシュタインは1936年8月27日、ジョルデンの小屋にこもりドイツ語での改訂を試みた。ウィトゲンシュタインは「哲学探究、改訂の試み」とこの作業を呼んだが、第2部の§13の前まできて、「p.118からここまでの「書き直しの試み」は無価値である」と書きなぐり、この「退屈で不自然」な計画を放棄した。このドイツ語での改訂版は『哲学的一考究(Eine Philosophische Betrachtung)』という表題で死後、出版されている。そして同時期に新たに書かれた原稿が、『哲学的探究(Philosophische Untersuchungen)』の第Ⅰ部の書き出しである。11月から12月にかけて1節から188節までを書き上げる。

スキナーはウィトゲンシュタインのアイデアを書き取ること以上のこと、議論すること、思想を明瞭化することはできなかった。ウィトゲンシュタインは「彼はアカデミックな生活では絶対幸福になれないだろう」と、彼がアカデミックな研究を続けていくことに賛成ではなかった。スキナーはこれを受け入れたが、これをアカデミックな生活が嫌いなウィトゲンシュタインの不幸な影響に過ぎないとみなした彼の友人や家族は、強く反対した。1931年の数学の優等卒業試験の第一部で「一級」を受け、1933年に受けた第二部でも「一級」を受けたスキナーの才能を思えば、無理もないことであった。ウィトゲンシュタインが医学の勉強をやり通すためのの経済援助をする、というケインズの約束は彼にまで及ばず、フランシスは大学を去り、まずは庭師として、そして彼の才能が全く役に立たない工場の機械工として訓練を受けた。後に、フィルマ・パイ社に移る。ケンブリッジ・インストルメント会社で二年間の機械工見習いとして採用されたスキナーは、ウィトゲンシュタインのために忍耐して、まったく楽しみも興味もわかない大ネジの製作に従事した。スキナーはウィトゲンシュタインと一緒に生活することをなによりも望んだが、愛が保持されるためには分離、ある距離を必要とするというウィトゲンシュタインのワイニンガー的な愛の観念からこれを拒否されている。スキナーはワイニンガー的な愛の観念を共有していなかった。しかし、この後、ウィトゲンシュタインノルウェー行きをきめたのは彼から離れるためであった。

1937年8月10日にウィーンからショルデンに戻り、ショルデンでの家政婦的存在であったアンナ・レブリーと8月26日くらいまで同居生活したが自分の家には戻ることができなかった。その間にフランシス・スキナーの優しさ、存在の大きさに気づき、8月23日頃に手紙を書き彼を呼び寄せ出迎えた日が9月18日。その夜に性の交わりがあった、らしい。

以下はショルデンで書かれた手紙

私の以前の愛、あるいは夢中になったときのことを考えよ。マルガリートと私のフランシスへの愛のことを。マルガリートへの私の感情がまったく冷たかったことは私が悪いのだ!確かにここには違いがある。それにしても私には冷たさがある。私を許したまえ。つまり、誠実で愛することができますよう。(1937/12/1)

昨晩自慰した。罪の意識。しかし他のことに逃避できずに、かくかくの像が自分のなかに現れてくるときに、あまりに弱く、その衝動と誘惑に打ち勝つことができないことをまたも確認させられた。けれども、「昨夜」、私はまだ自分のおこないを浄らかにすることが必要だと考えた。(私はマルガリートとフランシスのことを思っていた)(1937/12/2)

1938年の初め、いつまでも消えないスキナーへの情欲に自分でも困惑していたウィトゲンシュタインは、日記に乱暴に走り書きをした。

思索:彼が死んでいてくれたらよかったのにと思う。そうしたら私のこの愚かしさも消えてなくなるのに。……だが、もちろん、ちょっとそんな風に思っただけだ。(1938/1/4)

1930年代の終わりからウィトゲンシュタインとスキナーの関係は急速に冷えきっていった。1941年の10月上旬、ドイツ軍がOakington英国空軍基地(RAF)を爆撃し、犠牲者はケンブリッジの病院に殺到した。ポリオに感染していることに気付かれず入院した患者が処置も受けられず廊下に放置されていた。これが原因でスキナーはポリオに感染し、1941年にわずか29歳で亡くなっている。

スキナーの死に対するウィトゲンシュタインの最初の反応は慎みのある、悲しみを抑制したものであった。友人たちへフランシスの死を告げる手紙に、彼はやっとの思いで、穏やかな威厳のある態度を示す言葉を綴った。しかし、葬儀の時には彼の抑制は失われていた。スキナーの妹はウィトゲンシュタインが「おびえた野生の動物」のように振る舞ったと証言している。ウィトゲンシュタインはスキナーの家族には歓迎されなかった。それはウィトゲンシュタインがスキナーに与えた影響を好ましく思っていなかったのもあったが、特に彼の母親はケンブリッジ・インストルメント会社での仕事がスキナーの死を早めたと信じて、葬儀ではウィトゲンシュタインと口をきこうとしなかった。

1941年12月28日にウィトゲンシュタインはこう書いている。

フランシスのことを多く考えた。しかしいつも私の愛のなさゆえに後悔しかない。彼に感謝をして考えたのではない。彼の生と死は私を苛んでいるだけのようだ。なぜなら、私は彼の最後の二年間に非常にしばしば愛を喪失し、心の中では彼に不誠実であったからだ。彼があれほど際限なく穏和で誠実でなかったなら、私は彼をまったく愛さなかったであろう。

私がフランシスと一緒にいた最後の時期のことを非常に多く考えた。私の彼に対する忌まわしさについて……私の人生においていったいどのようにして、私がこの罪から解放されうるのかわからない。(1941/12/28)


メモ 2011年に発見された新資料に関しての記事

http://www.theguardian.com/books/2011/apr/26/wittgenstein-lost-archive


*1:『草稿』1937.9.22

*2:ここには書かないが、パスカルウィトゲンシュタインとの印象的な思い出をいくつも書き残しており、そのうちの一つはH.G.フランクファート『ウンコな議論』(山形浩生訳)で取り上げられている

*3:ちなみに円城塔「つぎの著者へつづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)に登場する。

*4:名前から分かる通り、ミハエル・バフチンの兄。

*5:『哲学的探究』序文を参照

鬱病と語学

語学
語学をやって鬱病を克服した坂口安吾にならって、メンヘラは語学をやれ、というツイートを前にした。そのとき柄谷行人木田元坂口安吾を引き合いに出して同じようなことを言っている、ということを知ったので、該当箇所を調べて読んだ。ちなみに僕が坂口安吾を引き合いに出したのは、「我が精神の周囲」を読んだからです。僕にとって坂口安吾はその著作に登場する人物や、坂口安吾自身がヒロポンを愛用していたこと、高校の頃、暖房のない図書館の書庫で寒さをこらえてちくまの全集を読んでいた記憶などがあいまって、健康という語のイメージから非常に遠い作家なのだけど。
 神経衰弱になってからは、むやみに妄想が起って、どうすることも出来ない。妄想さえ起らなければよいのであるから、なんでもよいから、解決のできる課題に没入すれば良いと思った。私は第一に数学を選んでやってみたが、師匠がなくては、本だけ読んでも、手の施しようがない。簡単に師匠について出来るのは語学であるから、フランス語、ラテン語サンスクリット等々、大いに手広くやりだした。要は興味の問題であり、興味の持続が病的に衰えているから、一つの対象のみに没入するということがムリである。飽いたら、別の語学をやる、というように、一日中、あれをやり、この辞書をひき、こっちの文法に没頭し、眠くなるまで、この戦争を持続する方法を用いるのである。この方法を用いて、私はついに病気を征服することに成功した。*1
多分柄谷行人のことだから全集全部読んでるとは思うけど、どの作品でのことかは明言してない。ちなみにこの対談が収録されてる『柄谷行人 インタヴューズ』には英語学習についての対談も一つ載っているので、興味のある人は読んでください。
柄谷 英語の勉強はしましたね。半年ぐらい、書くのも聞くのも全部英語で、猛烈にやりましたね。しかし、実は、特に英文学をやる気はなかったんです。一石二鳥というか、試験に落ちたって、英語が身につけばいいだろう、損はしないと思ってやったんです。ただ、それは僕にとって心理的に、すごくよかった。坂口安吾が病気を治すために猛烈に語学をやったということを書いていますが、なにしろ進歩しますからね、毎日。
高澤 成果が現れる。
柄谷 見る見る現れる(笑)。文学なんかやっていると、そういうことはないですからね。何も考えないし、それから、生活が規則正しいでしょう。いろんな意味で精神的に、肉体的に回復してきたんですね。その前の状態が『抗夫』みたいなものでしたから、いわば受験勉強で治ったんです。*2
木田元は翻訳者として非常に優秀な方なので、どのように語学を勉強されたか興味がある人は多いと思う。それも詳しく書いてあったけど、多くの人が真似できるやり方ではないと思うし長いので、鬱病の話だけ抜き出します。
一年目はドイツ語、二年目はギリシア語、三年目はラテン語、大学院に入って一年目にフランス語をやりました。みんな独学です。毎年四月一日から六月三十日までは、語学月間にしてました。一日八時間くらい、その語学の勉強に当てます。休むと続かなくなるので、そのあいだは酒も呑まない。そのころは金もなくてのメモしませんでしたが。春先は精神的に不安定になりやすいときでもありますが、こうやって語学の勉強をしていると、精神も安定してくるものでした。*3
存在と時間』から、この先どう生きていけばよいのか、その指針が得られるとおもっていたのですが、どうやら、そんなことが書かれているわけではないらしいということも分かってきました。[……]語学は、一日七、八時間規則正しく勉強していると、着々と力がついていく実感があります。そういう意味では、語学の勉強には精神を安定させるところがあります。坂口安吾が「勉強記」という初期の短篇で、神経衰弱をなおすためにバーリー語だのチベット語だのを勉強した話を書いていましたが、あれはあたっていて、語学の勉強は精神の衛生にとてもいいのです。それと、哲学の本を読んでおもしろいと思い、自分のやりたいことがわかったという気がしたせいもあるかもしれません。*4
存在と時間』を読んで、そこからなにごとかを学びとり、絶望を克服できたのかと訊かれると、ちょっと困ります。[……]ドイツ語やギリシア語やラテン語と、語学を一つひとつこなしていったのが効果がありました。語学は、毎日根気よく持続的にやらなければなりません。坂口安吾が初期の「勉強記」という短編で、神経衰弱を治すためには、サンスクリットやパーリー語やチベット語を勉強するのがいいと、自分の語学習得の話をおもしろく書いていますが、私のばあいも、語学の勉強が絶望の克服に役だったようです。克服というより誤魔化しでしょうね。その証拠に、哲学をはじめてからも幾度と絶望を味わうことになりましたから。*5
坂口安吾が〜からの一節がほとんど同じ文章で、コピペかと思った。多分大学の授業で同じことを何度も喋ったのだと思う。坂口安吾「勉強記」にそんな記述あったっけ、とおもって読んでみたけどないですね。梵語と巴里語を勉強したという話はあるけど、それによって神経衰弱を克服したという話はないです。ここでことさら強調されているのは、辞書の効用でしょう。
なるほど辞書はひくために存在するのであるけれども、言葉は辞書をひくために存在するのではないようである。梵語チベット語の辞書をひくのは健康に宜しく食慾を増進させ概してラジオ体操ほどの効果があるとはいうものの、辞書は体育器具として発売されたものではない。そこで栗栖按吉は大汗かいてチベット語の伝授を辞退することに努めたが、鞍馬先生という方は他人にも意志だの好き嫌いだのというものがあることなど、とんと御存じないのである。*6
ひたすら辞書を引き、翻訳する機械になる描写は他の作品にもある。
私は二十一の年にひどい神経衰弱になり、歩行もサンマンとし、耳がきこえなくなった。それは、私に常に妄想が起るために、耳がきこえなくなるのであったが、要するに妄想を抑えることに成功すれば、必ず病気を治すことができるという見込みによって、目覚めているあらゆる時間、語学に没頭することにした。つまり、辞書をひきつゞけるのだ。私は、フランス語、サンスクリットパーリ語、ドイツ語を一時に習い、たゞ、むやみに、辞書をひく機械のように、根かぎり、休むことなく、辞書をひくことに没頭した。そのほかに、何を考えてもいけないのだ。考えてはならぬ。考えてはならぬ。然し、こうして明滅する妄想と闘いつゝ辞書をひいても、凡そ平時の十分の一と能率はあがらぬものだが、ともかく、この方法によって、妄想をくいとめ、一年半ほどの後には、以前の自分に戻ることができた。*7
高名な哲学の先生が大学の新入生に向けて哲学とはどういうものでどういう心構えを持つべきか、という内容の文章を書かれるのはよく見るけど、より手前の段階だけど重要な語学の勉強法について語ってる先生ってあんまり見かけませんね(知ってるという人がいたら教えてください)。
語学が鬱病に効く、というよりも、なんらかの目的を持って語学を身につけようとすると、生活が規則正しくなり、考え事をする暇がなくなるので、当面の気分をごまかせる、というようなところが三人の体験に共通するところではないでしょうか。そうすると、冒頭での僕の発言は「メンヘラは語学を手段とするような目的を持て」というように書き換えられそう。でも、夏目漱石とか留学して鬱病になったよく知られた例だし、知人やフォロワーを見ている限り鬱病の人に「語学の上達と鬱病の克服の最短距離だ!」と言って留学を勧めるのはあまりよろしくないと思う。
個人的には第二次世界大戦の際にアメリカに亡命した知識人がどうやって英語を勉強したかとか知りたいですね。特に英語で著作を書いたアーレントとか。英語の勉強のためにわざわざプラトンを英訳で読んだ、みたいな話は聞いたことがあるけど。

*1:坂口安吾「我が精神の周囲」

*2:柄谷行人柄谷行人 インタヴューズ1977-2001』p.238

*3:木田元『闇屋になりそこねた哲学者』p.83

*4:木田元『闇屋になりそこねた哲学者』p.91

*5:木田元木田元の最終講義 反哲学としての哲学』p.27

*6:坂口安吾「勉強記

*7:坂口安吾「小さな山羊の記録

3単語タイトルの本はかっこいい

3単語タイトルの本はかっこいい。僕が思いつくのはエイヤー『真理・意味・言語』とか、ノージックアナーキー・国家・ユートピア』とか、キットラー『フィルム・グラムフォン・タイプライター』とか、竹内外史『層・圏・トポス』とか
 
同じようなことを考える人は結構多いみたいで、ググったらこういうまとめが出てきた。このタイプのタイトルはオスカー・ワイルドの"Pen, Pencil and Poison"がはじまりではないかという人がいるけれど真偽は不明
 3つ単語を並べるにも、『A・B・C』『A、B、C』『AとBとC』という表記の揺れがあるけど、翻訳する際に規則とかあるのかな?とつぶやいたらS氏(名前だしていいなら書きます)が、結城浩『数学文章作法 基礎編』にこういう記述があることを教えてくれた。

 列挙の順序を入れ替えてもかまわないときには,列挙の区切りにナカグロ(・)を使います.順序を入れ替えないときには,読点(、)やカンマ(,)を使います. 

  ○信号は青,黄,赤の順に点灯する.

  ×信号は青・黄・赤の順に点灯する.

 上の例では点灯する順序を述べていますので,ナカグロを使ってはいけません.もしも「信号には青・黄・赤の三色がある」なら,順序を入れ替えてもいいのでナカグロを使ってもかまいません.*1

そんな規則があるんですね。ちなみに"A, B and C"と"A, B, and C"2種類の表記があるけれど、andの前にcommaを入れる方の表記をOxford commaとかserial commaと呼びます。何故そんな区別があるのかというと、最後のandが同じ並列を表すものなのか、ひとつのものを表すのかわかりにくい場合があるからです。僕の説明を読むより下の画像(2番目の)をみる方がきっと早い。英語圏ではよく論争になる話題だそうです。

f:id:logiko:20150915010151p:plain

画像検索すれば出てくるけど、これが一番分かりやすいと思う*2

f:id:logiko:20150915010502j:plain

以下に僕が知っているものと、友人に教えてもらったもの、調べた限り出てきたもののうち、邦訳で3単語書名になっている本をいくつかのパターンにわけて列挙しました。見やすさのために、副題などがあっても削ってます。日本語で原作が書かれて翻訳されたものも混じってます。

"A, B and C" を「A・B・C」と訳すパターン
リチャードローティ『偶然性・アイロニー・連帯』(Contigency, Irony and Solidarity)
ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(Guns, Germs And Steel)
ヒラリー・パットナム『理性・真理・歴史』("Reason, Truth and History")
C.W.ツェーラム『神・墓・学者』(“Götter, Gräber und Gelehrte”)
シュンペーター『資本主義・社会主義・民主主義』("Capitalism, Socialism and Democracy")
ロッド・サーリング『魔女・魔道士・魔狼』("Witches, Warlocks and Werewolves")
バイザー『啓蒙・革命・ロマン主義』("Enlightenment, Revolution and Romanticism")
レヴィナス『神・死・時間』("Dieu, la mort et le temps")
P・グランスドルフ『構造・安定性・ゆらぎ』("Structure, Stability and Fluctuations")
 
"A, B, and C"を「A・B・C」と訳すパターン
エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』(“Der Ursprung der Familie, des Privateigenthums und des Staats”)
ロバート・ノージックアナーキー・国家・ユートピア』(“Anarchy, State, and Utopia”)
N.グッドマン『事実・虚構・予言』(Fact, Fiction, and Forecast)
オリバーハート『企業・契約・金融構造』(“Firms, Contracts, and Financial Structure”)
AJエイヤー『言語・真理・論理』(“Language, Truth, and Logic”)
ジョセフ・ギース『大聖堂・製鉄・水車』("Cathedral, Forge, and Waterwheel")
ドナルド・デイヴィドソン『真理・言語・歴史』(“Truth, Language, and History”)
ポーコック『徳・商業・歴史』("Virtue, Commerce, and History")
ヒラリー・パットナム『身体・心・世界』("Mind, Body, and World")
チャールズ・パース『偶然・愛・論理』("Chance, Love, and Logic")
ベンジャミン・ウォーフ『言語・思考・現実』("Language, Thought, and Reality")
シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』("The <Widget>, the <Wadget>, and Boff")
ポメランツ『中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』("China, Europe, and the Making of the Modern World Economy")
アイスラー『聖なる快楽―性、神話、身体の政治』("Sacred Pleasure: Sex, Myth, and the Politics of the Body")
G・H・ミード『精神・自我・社会』(Mind, Self, and Society)
マルクス・ガブリエル『神話・狂気・哄笑』(Mythology, Madness, and Laughter)

"A, B, C"を「A・B・C」と訳すパターン
キットラー『フィルム・グラムフォン・タイプライター』(“Gramophone, Film, Typewriter”)
ポール・リクール『記憶・歴史・忘却』(“La mémoire, l'histoire, l'oubli”)
ロマン・ヤコブソン『言語芸術・言語記号・言語の時間』(Verbal Art, Verbal Sign, Verbal Time)
カルロ・ギンズブルグ『神話・寓意・徴候』(“Miti, emblemi, spie”)
カルロ・ギンズブルグ『歴史・レトリック・立証』(“Stria, retorica,prova”)
柄谷行人『言語・数・貨幣』("Language, Number, Money")
トリン・T.ミンハ『女性・ネイティヴ・他者』(“Woman, Native, Other”)
ルドルフ・シュタイナー人智学・神智学・霊知学』("Anthroposophic, Psychosophic, Pneumatosophie")
ヘルマン・ワイル『空間・時間・物質』("Raum, Zeit, Materie")
A.A. ロング『ストア派エピクロス派、懐疑派』("Stoics, Epicureans, Sceptics")
マラブー『可塑性・時間性・弁証法』("Plasticité, temporalité, dialectique")
バトラー、ラクラウ、ジジェク『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』("Contingency, Hegemony, Universality")
デイヴィッド・ウィギンズ『ニーズ・価値・真理』("Needs, Values, Truth")
 
「A・B・C」番外編
森博嗣『夢・出会い・魔性』(“You May Die in My Show”)
 
"A B C"を「A・B・C」と訳すパターン
レイ・ブラッドベリ「イカロス・モンゴルフェ・ライト」(“Icarus Montgolfier Wright”)
チャイナ・ミエヴィル『ペルディード・ストリート・ステーション』("Perdido Street Station.")
トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』("San Diego Lightfoot Sue")
ハイリ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラット』("The Stainless Steel Rat")
マイクル・カンデル『キャプテン・ジャック・ゾディアック』("Captain Jack Zodiac")
ライク・E・スプアー『グランド・セントラル・アリーナ』("Grand Central Arena")
仏語版は"Danse, danse, danse"なんですね
 
"A, B, C"を「A、B、C」と訳すパターン
ドナルド・デイヴィドソン『主観的、間主観的、客観的』(“Subjective, Intersubjective, Objective”)
エリザベス・ギルバート『食べて、祈って、恋をして』(“Eat Pray Love”)
ダグラス・ホフスタッター『ゲーデルエッシャー、バッハ』("Gödel, Escher, Bach")
アドリエンヌ リッチ『嘘、秘密、沈黙。』(“On lies, secrets, and silence”)
ジークフリード・ギーディオン『空間、時間、建築』(“Space, Time and Architecture”)
 
「A、B、C」番外
シオドア・スタージョン『影よ、影よ、影の国』("Shadow, Shadow on the Wall")
原題は三単語タイトルではないけど、名訳では
茅原実里「雪、無音、窓辺にて」("Snow, Silence, By the Window")
At the window sideという訳も見つけた。
 
「AとBとC」と訳すパターン
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』(“Liebe, Luxus und Kapitalismus”)
ジョージ・マイアソン『ハイデガーハーバーマスと携帯電話』("Heidegger, Habermas and the Mobile Phone")
マリオプラーツ『肉体と死と悪魔』(“The Romantic Agony”)
これは副題がロマンティックアゴニーになっています。タイトルは翻訳者がつけたのかな
 
番外
ロジャー・ゼラズニイ『アイ・オブ・キャット』("EYE OF CAT")
ジャック・デリダ「署名 出来事 コンテクスト」("Signature événement contexte")
スタンレー・J ・ダンバイア『呪術・科学・宗教―人類学における「普遍」と「相対」』(Magic, Science and Religion and the Scope of Rationality)

よくわからなかったもの
F.A.ハイエク『市場・知識・自由』(“The Use of Knowledge in Society”)
F.A.ハイエク『自然・人類・文明』
デイヴィド・ヒューム『奇蹟論・迷信論・自殺論』
ガダマー『哲学・芸術・言語』
これは日本の編者がつけた名前っぽい?
 
全然関係ないパターン
アルフレッド・ベスター『ピー・アイ・マン』("The Darkside of the Earth")
ジョージ・レイコフ『認知意味論』("Women, Fire, and Dangerous Things")
 
ちなみに海外で凄い人気を誇る(らしい)バカテスも3単語タイトルだけどこう訳されていた。
井上堅二バカとテストと召喚獣』(“Baka and Test: Summon the Beasts”)
 
以下は日本人の書いたもの一覧です。この記事に載っていない訳書のタイトルを知っているという方はコメント欄に書くか、(http://twitter.com/logical_logiko)にリプライでタイトルを投げつけてください。ぶしつけだとは思わないので。
 
竹内外史『層・圏・トポス』*3
網野善彦『米・百姓・天皇
加藤周一『歴史・科学・現代』
坂本多加雄『市場・道徳・秩序』
廣松渉『もの・こと・ことば』
佐藤俊樹『近代・組織・資本主義』
服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』
波頭亮『思考・論理・分析」
出口顯『言語・権力・主体』
三島憲一『破壊・収集・記憶』
村上隆夫『ポー・パース・ハイデッガー
市川忠男『シャノン・ノイマン・ディジタル世界』
古井貞隆『微分積分学線形代数学・確率と統計』
小林道夫『自然学・形而上学・道徳論』
斎藤慶典『現象学生命科学、そして形而上学
植村邦彦『市民社会・世界史・ナショナリズム
坂本達哉『勤労・知識・自由』
岡田温司『静止・運動・時間』
佐野誠『法・国家・ユダヤ人』
塩野谷祐一『芸術・倫理・歴史』
東浩紀『ルソー、フロイト、グーグル』
福岡安都子『国家・教会・自由』
石川健治『学問/政治/憲法
天藤真『あたしと真夏とスパイ
森博嗣『ゾラ・一撃・さようなら』
坂本達哉・長尾伸一『徳・商業・文明社会』
和仁陽『教会・公法学・国家』
佐々木毅『主権・抵抗権・寛容』
中山可穂サイゴン・タンゴ・カフェ』
佐々木中フーコーラカン・ルシャンドル
山田昌男『歴史・祝祭・神話』
川野洋『芸術・記号・情報』
宮川淳『鏡・空間・イマージュ』
学研『鉱物・岩石・化石』
森島守人『陰謀・暗殺・軍刀
網野善彦『無縁・公界・楽』
細川亮一『論理・独我論・倫理』
森島守人『真珠湾リスボン・東京』
中井久夫『徴候・記憶・外傷』
人見 順士『切腹・男・肚』
柄谷行人『言語・数・貨幣』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
タカハシマコ『乙女座・スピカ・真珠星』
木村敏『自己・あいだ・時間』
細川亮一『意味・真理・場所』
八木沢敬『意味・真理・存在』
三浦展『郊外・原発・家族』
蓮實重彦フーコードゥルーズデリダ
江原由美子『性・暴力・ネーション』
森博嗣『夢・出会い・魔性』
丸山圭三郎『言葉・狂気・エロス』
宮台真司『日常・共同体・アイロニー
西村貞二『ヴェーバー、トレルチ、マイネッケ』
黒川 信重『オイラー、リーマン、ラマヌジャン
斎藤慶典『知ること、黙すること、遣り過ごすこと』
市川慎一『ヴォルテール、ディドロ、ルソー』
小池定路『父とヒゲゴリラと私』
清水義範『ダムとカンナとシンシロシテン』
中島敦『光と風と夢』
乙一『夏と花火と私の死体』
山野浩一『花と機械とゲシタルト』
舞城王太郎『土か煙か食い物』
新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー

*1:結城浩『数学文章作法 基礎編』p.34

*2:memeなのでオリジナルのリンクを貼れなかった

*3:http://togetter.com/li/127398